東北支援の会 2012年8月報告
 山田町「鎮魂の希望の鐘」のお参りと陸前高田テニスコート視察

本サイトの番目、 東日本大震災累計で 番目お客様です。
8月は、ロータリーと東北支援の会の有志と、いつかは行ってみたかった 山田町の
「ロータリー鎮魂の希望の鐘」をお参りして着ました。また前月にご紹介した、サッカー場用地と
テニスコート用地を見てきくました。その一方、オリンピックを熱く応援していて、「支援とはどういものか」
について、新たなる大発見が出来て、大変嬉しく思っています。今月は、その気づきを与えて頂いた
神様への感謝を込めて、そして皆様にはその感動のおすそ分けです。8月26日  文責 垣見 裕司

盛岡出発で 山田町 鎮魂の鐘 お参りした来ました
今回も本当は、東京を早朝に新幹線で出発して、一ノ関 陸前高田往復ルートで
日帰りしようかと思っていくましたが、大先輩のロータリーの友人 盛岡のTさんから
「垣見さん、私が案内するから、山田町のロータリーの鎮魂と希望の鐘お参りにいらっしゃい」
とのお誘いを頂きました。いつかは行ってみたかったし、東北支援の会の有志、岡山の
Tさんと 埼玉のNさんとも日程があったので、盛岡で前泊し、覚悟を決めて出発しました。
 読者の皆様の中には、私も行ってみたいという方もいらっしゃるだろうから、距離と
時間のスケジュール入りでご報告します。

まずは、盛岡駅南口のトヨタレンタカーで、前日夜に借りました。同店は21時まで営業して
いるので、東京から新幹線で行くのにも、この21時までにつけばいいというのは、助かります。
朝は7:30からです。もう30分早いといいなあと思いますが、それは仕方がないですね。

盛岡出発は、6:30 運転手は2名。法定速度で走って、小休止は、途中の川井で一回。
そして 宮古市を経て 予定通り 山田町には、9:00につきました。約100km弱です。
場所は、山田町役場前、町立図書館跡でも カーナビ検索出来ます。




写真の通りですが、このコントラストが全く信じられません。
大きなロータリーマークの時計は、山田町の駅庁舎に昭和45年に寄贈されたものでした。
あの震災の日、15時27分で止まっているだけでなく、丸焼け状態。忘れてはいけない
ということで、記念碑として残されることとなり、私的民間団体にも関わらず、山田町の
提供してくれた場所にたっている。綺麗な鐘の音。真っ青な澄み切った空、そして
地面には、綺麗に咲き続ける花畑。そしてRI会長の直筆の記念碑。その言葉は、
「鎮魂と希望の鐘」。 鎮魂 だけでなく 希望が入っているところに感銘しました。
眼下の山田町の復興は全く進んでいないようです
そしてコントラストの第二弾。この高台の上は平和そのものですが、この高台から見る
今の山田町の復興は、震災から1年半も経とうとしているのに、全く進んでいないからです。

大槌町も悲惨な状態。それを物語る大槌町役場もこの通り
山田町を9時半に出発した我々は、国道45号線の旧道を走って南に下ります。
並行して走る新道の45号線は、沿岸からは、より多い高台を走っており、また
トンネルも多いので、ここを走ってしまうと被災状況は分からないからです。
そして約20分、距離にして20kmくらいでしょうか。大槌町に入りました。
そして45号線沿いの右手(国道西側)に見えてくるのは、大槌町役場です。
周りの高い建物を見ても、間違いなく3階まで津波が来ていますので、この
役場非難した方がどうなったのか。考えるだけでも、思わず涙が出てきます。
通常、市役所とか町役場は、何かあった時の防災拠点となるべき場所です。
それは指揮命令系統という意味では、警察や消防と同等以上に重要な拠点の
はずです。それがこうも簡単に被災してしまう。
これは、日本の全ての自治体が教訓にすべきことと思います。地元住民の皆様
の理解が得られればですが、私は被災地のどこか一つでも、この全損した市役所
や町役場を、後世への教訓として、残してほしいと思います。


釜石経由で大船渡へ 大船渡では 素敵なカフェでアイスコーヒーを1杯
大槌役場は、お参りだけして出発しましたが、そこから釜石までは、約20km。
時間もないので釜石は、車窓から復興をお祈りして、大船渡までやってきました。
大船渡到着は11時前です。で素敵な カフェテリア SEAGULL COFFEEを発見。
喉も乾いたし、トイレ休憩もしてなかったので、ちょっと洒落て、屋外でアイスコーヒー
を飲みました。その時の写真がこちらですが、、、あれ左から二番目の方は、、、


そうです。ここは らくらくセルフ丸新 新沼社長のセルフスタンド一角です。
1年4か月前来た時とは大違い、それだけは嬉しい誤算です。もちろん大船渡全体の
復興はまだまだですが、新沼さんのSSが、国道45号線の山側(西側)にあり、様々な
建設規制に掛からなかったことが、幸いしたのではないでしょうか。お邪魔とは思います
が、岩手に行ったら時間の許す限り寄りますので、新沼さん、今後ともよろしくです。
陸前高田RCの例会に出席 花壇・畑 生き生きプロジェクトを拝見
陸前高田市の高田長砂仮設住宅の東隣りにある、癒しの公園到着は、12時前です。
その公園には、集会所(写真左上、右下写真の左上に見えるのが概観です)や
水戸RC秋山さん建立の慰霊碑(写真左下)、花壇(右上)、そして畑(右下)等があります。
この集会所では、月二回、陸前高田ロータリークラブが例会を開催していますが、
訪問者4人、例会に参加させて頂きました。左上は例会で挨拶をさせて頂く私です。
例会の内容についての報告は差し控えますが、一言で申し上げれば、来て見ないと
本当のことは分からないということでした。また陸前高田RCの会員の皆様は、復興が
なかなか進まないので、多くの不安や不満がおありでご苦労されている訳ですが
皆様お元気そうなので、一応は安心いたしました。
ちなみに、佐々木さんから、この畑で採れた カボチャ を送って頂いてので、
翌日の東京紀尾井町RCの例会で報告しましたら、ほしいという希望者が現れた
だけでなく、シンデレラを乗せる馬車に変身してくれました。



陸前高田の最後視察は、テニスコート サッカー場は 秋山さんHP参照
中学校は当然義務教育で、体育の授業もあるでしょうから、正規の校庭は、一応
整備されていました。で以下私の推測ですが、正規授業がない時は、一番力のある
クラブ活動が使う。普通は野球部でしょうか。サッカーも人気ですから、学校や保護者は
市の方に色々お願いをする。市はでは少ない予算と少ない土地をやりくりして作るの
だから、あとはサッカーもテニスもよく相談してうまく使って下さいということで、第二
グラウンドを整備した。そうすとる次に力のあるサッカー部が優先となる。またサッカー
スパイクで荒れたグラウンドで、テニスは出来ません。よって テニス部は、道路や
駐車場に追いやられて、、、、というところが本音のようです。
写真左は、学校の正規のグラウンド二つ。そして右写真が、テニスコート用地です。
ここまで来ると、生徒の親同志でも、野球部かサッカー部かテニス部かで、意見は
異なりますので、難しい問題です。で再び市に掛け合うと、2-3年の内には何とか
します。でも中学生に2年待てとは言えませんね。
またロータリ―の地区に申請しても、仮設のハードにはお金は出ません?。
もうこうなると 賛同してくれた人だけでやるしかないですね。

オリンピックの応援が教えてくれた 心から応援した人にだけ感動が待っている
オリンピックを応援していて、改めて感じたことがありました。
この深夜の睡眠に充てるべき貴重な時間と、精一杯の気力を使ってしている応援。
これは、誰のためにしているのでしょうか。もちろん頑張っている選手のためなので
しょうけれども、応援している私は、決して見返りなどは、求めていない。
 メダルをとってくれたら、勿論嬉しいけれど、俺が応援して取れたメダルなのだから
お礼に来い?などとは、これっぽっちも思っていない。むしろ「感動をありがとう」
 テレビのこちら側だったけど、ともに応援して一つになっ(た気分にしてもらっ)て
感動して、時に涙して、感謝して、寝不足だけど明日への元気をもらって、、、
 そう考えるとこの応援は、自分のためでもあり、そして涙ながらに応援した人には
応援した分だの、感動を頂けるのではないでしょうか。
 これって、ロータリーでいう奉仕の心であり、私にとっての愛サーブ。
正に被災地の支援の心ではないかと気が付きました。
 自らも被災されたのに、それでも陸前高田の皆さんのために頑張っている佐々木さん。
私にとっては、オリンピックのメダリスト同様に輝いています。という訳で、私も体育会
系の人間だし、会社から近いので、被災地入前に、銀座パレードに行って着ました。
 人は、、、感動と涙の分だけ、大きく、優しく、魅力ある人になれるのだと思います。


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