陸前高田訪問 写真報告
 気仙沼、陸前高田、大船渡そして陸前高田RC例会出席

本サイトの番目、 東日本大震災累計で 番目お客様です。

私の所属するロータリークラブで、実質3年間 復興支援委員長の活動をしてきました。
ロータリーの年度は、7月から6月末なので、その委員長として最後の職責を果たすべく
6月3日4日に、陸前高田、気仙沼、そして陸前高田に行き、陸前高田RCの例会にも
出席して来ました。今月は、その写真報告です。     6月10日  文責 垣見 裕司

6月3日夜に 気仙沼プラザホテルに集合しました
本当は、陸前高田市内に宿泊したかったのですが、陸前高田には残念ながら、まだ宿泊
可能な施設はないとのことなので、隣町の気仙沼プラザホテルに宿泊することにしました。
ここは、震災以降定点観測しておりますカメイさんのガソリンスタンドの裏の高台にあり
津波被害もなかったので、復旧したてのを知っていたのです。


上の写真は、紀尾井町RCの有志です。上に見えるのが気仙沼プラザホテルです。
今回の訪問で嬉しいことは、遂にカメイさんのSSがオープンしたことでした。
過去の写真と是非比較してみて下さい。

こちらが、ホテルとSSから一番近い飲食店街です。海に近くて海抜も低い?
右の歩いている写真は、人ではなくその下の道路を見て下さい。1m弱も土盛りをして
いることが分かると思います。気仙沼の港街の道はほぼすべて土盛りしてありました。


私ども一行は、佐々木さんのご紹介のお店で懇親会をさせて頂きました。
本当にお忙しい中、陸前高田RCの千田会長と、佐々木次期会長にお越し頂き
本HPには、とても書けない被災地の実情や避難された仮設住宅にお住まいの
方々の本音の一端をお伺いしました。

この写真は、翌朝撮影した気仙沼の港街の風景です。少し活気が感じられました。
眼下の山田町の復興は全く進んでいないようです
翌朝、朝食会場から見た気仙沼の港街は、ようやく活気が出て来たという印象でした

反面、陸前高田に向かう道沿いの大型漁船は相変わらずの状態です。
もっとも個人的には、鎮魂施設として残してほしいと思いました。

ちなみに右写真は船の最下部ですが、下に挟まっているものは何だか分かりますか。
どう見ても自動車が本当にペシャンコになっているのです。自然の猛威を感じます。
復興の進む 大船渡 良い意味でのミニバブルが始まっている?
今回訪問した5人は、陸前高田が初めてが一人 2011年10月に続いて2回目が2人
3回目が一人。そして私というメンバーですが、ある意味復興が進んでいる大船渡を
見てもらうことにしました。みなさん大船渡は初めてです。
やはりいつも訪問している らくらくセルフ丸新さまに行きました。社長の新沼さんは
ご不在でしたが、素敵な奥様が出迎えて下さいました。

SSも上の写真の通り本当に綺麗で、2年年前に来た時とは大違いです。
SS裏には、東北銀行が仮設ではなく 三階建ての大船渡支店が完成していました。
SSが忙しいのは勿論ですが、今は建設関係の軽油の配達も忙しいようで何よりです。
ちなみに今お困りのことを奥様にお伺いすると、求人をしてもSSには人が来ないとのこと。
震災後の仕事がない頃とは大きな差で、復興のミニバブルが始まったような気がします。
但し、国道45号線より東の海側は、まだまだ復興の進んでいないところも沢山あります。
大船渡線は、既にバス代替え運行されていますが、線路が無残なのは悲しいです。
陸前高田旧市街地の今
さて下記の写真陸前高田のある場所なのですがどこだと思いますか。



道路との境の塀のようなものに微かな面影が残りますが、そう陸前高田市役所です。
壊すべきか、保存すべき。両方の意見はあったそうですが、市議会では大した議論も
されないまま、取り壊しが決定し、本年3月粛々と解体されてしまいました。
部外者の私如きが軽々なことは申せませんが、広島の原爆でもやはり原爆ドーム
という象徴があるからそこ、その記憶を後世に伝えられたのではないかと思います。



なくなるものもあれば、新たに作らているのが、評判の悪い防潮堤です。
今回来た津波が15mの高さなのに対して これは何故か12m。道路を兼ねているのが
せめてもの救いですが、この防潮堤の山側からは、海が見えないことになります。
住民の皆様も知らない内にその建設が決定。住民が欲したというよりは、復興予算を
遣いたかったというのが本音ではないでしょうか。何か本末転倒のような気がします。



そして唯一残っているのが、道の駅とそしてこの1本松のレプリカです。
東北支援の会も佐々木さんを通じて少しばかりの寄付をさせて頂きましたが、
何がしかのお役にたっていれば幸いです。
陸前高田RCの例会に出席 花壇・畑 生き生きプロジェクトを拝見
そして一行は、ロータリー癒しの公園に併設される集会場に到着しました。
隣接する高田長砂仮設住宅から、この畑を管理する自治会の方が来てくれてました。
お話しによれば、仮設住宅で仕事のないお年寄りの方々にとっては、畑いじりというか
生き物を育てるというのは、この上ない楽しみで、細やかながら、生きがいになっている
ということを聞き、大変嬉しくなりました。集会場は、週末の夜にはカラオケ大会なども
開かれているそうです。

自治会の方と佐々木さんと 紀尾井町RCと東北支援の会の名前も入った看板前撮影。
右写真は、お話しをお伺いする一行。後ろに見えるのが高田長砂仮設住宅です。

苗植えを終わった畑の写真です。下期分の義捐金の贈呈式です。
当会は、佐々木さんを通じて、高田松原の絵本事業に寄付させて頂きました。
益々広がる内々格差
今回訪問で私が感じたのは、益々広がる内々格差です。同じ岩手県、宮城県ですも、
被災した人としなかった人の格差は、むしろ広がったのではないか。
また両県の同じ被災した地域でも、大船渡は間違いなく復興が進み始めた。
気仙沼も、大船渡程ではないにしろ、復興の意吹きは感じられる。その反面、、、、
陸前高田は、市役所も市民会館もなくなった広大な市街地を見ると現実を知らされます。
しかしその陸前高田のそれも仮設住宅の中ですら、格差が広がっていることを聞きました。
国や県、そして市の補助金で個人の住宅でも400万円程度なら支援金が出るそうです。
しかし、一戸建は最低6-700万円程度かかる。その差額を出せる人と出せない人の差です。
新築の家を建てた人は仮設住宅を出ていく。反面長らく親戚の家に 身を寄せていた人も、
前述の内々格差で居づらくなってくる。しかしそれまで、被災者扱いされていなかった親戚に
避難していた人は、空いた仮設住宅に入るのも大変。そして入っても家財道具が一切ない。
すなわち 家財道具は仮設住宅に最初に入った人がもって帰ってよい制度なのです。
この制度を最大権使い、一時仮設住宅に入るものの、補助金で与えられた家財道具
だけをもってほとんど壊れていない自宅にもって帰った人もいたとか。
とにかくこれからは、金額の支援というよりは、心を支える支援が必要だと痛感しました。
その他お話しに出ていた一例です。
・津波を被ったビデオテープなどの洗浄・再生が被災した方々にとっては嬉しい
・中間層である40代前後の方への支援が進んでいないこと。
・震災後年数が経って様々なストレスで体調や精神に不調をきたす人が増えている。
・そしてそれに伴ったDV案件が増えていること。
・義援金の分配のみならず様々な思惑が錯綜しており、様々な政策が進んでいないこと
7月以降、私は紀尾井町RCの復興支援委員会から離れます。訪問回数も大幅に減ると
思いますので、本HPの更新も支援をしたときのみにさせて頂きます。
でもマラソンのごとく、スローペースではありますが、本会はもう少し続けていこうと思います。